九段-雑司が谷-三芳(池袋)-三芳 |
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実は雑司が谷宣教師館といっても世代が異なるのでわからない。雑司が谷で営業していたことを知ったのはこのページを作成することで知ったのだ。さらに当時の社屋が文化財として保存されていたことも。雑司が谷で創業する前は九段で営業していたらしいがその頃のことはさすがに不明である。創業者はミキサーだったようで、当時の録音技師をミキサーという言葉で当てるのがふさわしいか別として、独立系ミキサーの事務所としての昭和光音であったのだろうか?雑司が谷の話に戻そう。人づてに聞いた話では、創業期の頃は直販を行ない定価販売だったらしい。ヤマギワと河口無線のみが代理店だったようだ。宣教師館のみではスペースが狭いので周りにプレハブ小屋を建て、製造を行っていたとも聞く。宣教師館の中の部屋が試聴室で創業者自らがデモを行っていたとされる。私が宣教師館を訪れたのは数年前の冬だった。都電の雑司が谷電停から歩いたのだが電停のすぐそこは雑司が谷墓地で墓地を横切らずに行ったので大変大回りをした。うっかりすると見落とすような看板に沿って路地を進み曲がると資料でしか見たことがなかった宣教師館が目の前にあった。文化財として保管されているので何度となく塗りなおしがされており綺麗であった。床をきしませて内部に進むと張り出した窓の部屋が見える。どの部屋も窓が大きく明るい。天井が高くそしてライブだ。静電型スピーカーはこれくらいライブな方が鳴らしやすそうだ。二階へ行く。階段からきしむ音が聞こえる。現在は展示館なので内部に当時をしのぶものは残っていない。パネルとか模型が置いてあるだけである。だから余計にライブなのだろう。帰りは墓地内を散策した。著名な墓地だけに墓石に刻まれた名前に有名人の名も多い。 池袋のショールームは別の項でも書いたがサンシャインとはす向かいのワンルームマンションにある。ここは何度か訪れた。二部屋のワンルームをショールームとしており、左側の部屋にイヤースピーカーと小型スピーカーを置き、右側の部屋に大型スピーカーを置いていた。初めて訪れたときは右側の部屋の存在を知らなかった。目の前にいた老夫婦が創業者夫妻であったことを知ったのは後のことだ。普通のワンルームマンションに機材を置いただけなので雑司ヶ谷のような雰囲気はないが、当時販売店の喧騒から逃れて試聴できる唯一の場所であった。一生懸命思い出しながら書いているが、そういえば怪しげな自作ピンケーブルがあった。そのケーブルはシールドされていないケーブルでプラスとマイナスの線がプラグから延びているが半透明の樹脂でプラスとマイナスのケーブルが支持されており、さらに驚くことにプラグの筒がなかった。筒というのは抜き差しする際に指で持つ部分のことである。今にして思えばノンシールドを推進していた時代が背景にあり、筒のないプラグは筒の鳴きを考慮したのだろうが、見た目は驚くものがあった。電源タップも太目のより線の一本線が透明と赤の二本からなるもので、自社製の配線材だったのだろう。当時はそんなことを知らずにざっくばらんな配線だとしか見えなかった。
右側の部屋に始めて入ったのは購入したイヤースピーカーから異音が聞こえてきたのがきっかけだった。修理依頼の為わざわざ池袋まで持っていくと対応してくれた営業の方が右側の部屋に招き入れてくれたように思う。入ると数人のマニアとともに大きなスピーカーが窮屈そうに鎮座している。多分8Xだと思う。「ここで音の話をしてもしょうがないんだけど」といいながら営業氏はスピーカーを鳴らし始めた。箱のないスピーカー特有の不思議な感じに戸惑いつつも音が軽く立ち上がる感じはイヤースピーカーで聞覚えのあるものだった。 当時はオーディオフェア-なるものがまだ元気で晴海からサンシャインに移って開催されていたものだからショールームは第二会場として使われていた。会場めぐりをして疲れるとこに休みに来る感じである。左側の部屋に行ってみると当時の社長がなにやらごついアンプを前にお客さんに説明をしていた。その脇にヘッドフォンステレオみたいなイヤホン型のイヤースピーカーも置いてあった。ごついアンプの正体はSRM-T2で、イヤホン型のイヤースピーカーはSR-001である。DMA-X2もDAC-X1tもあったように記憶している。DMA-X1だけは事情により無かったようだ。T2の物量に目を見張り、001の妙な装着感に戸惑いつつ帰宅した。 いつのまにかに右側の部屋でスピーカーのデモは行われなくなり、スピーカーを聴きに三芳の本社に出かけたことがある。今の社屋ではない。鶴瀬の駅につくと電話をする。すると車で迎えにきてくれた。池袋で修理品を受け付けてくれた営業氏だ。当時の社屋は徒歩で行くのは困難でバスも無いわけではなかったが本数が非常に少なかったように記憶している。工業団地の外れみたいなところでちょっと薄暗い林の中にあった。今だから言えることだがカルチャーショックを受けるような古い建物で「築三十年の鉄工所」というべき建物だ。その周りにプレハブとトラックとマイクロバスが入った車庫が見えた。記憶があいまいでなかなか思い出せないが玄関を入ると下駄箱とすのこがひいてあったように思える。左側が事務所で、正面を進むとトイレがあって倉庫かラインみたいなものがあった気もする。試聴室は右側でスリッパに履き替えて上がる。試聴室の入り口の廊下には資材や機材が転がっており、マーチンローガンが置いてあるのが印象に残っている。室内に入ると中は広く天井も高かった。置いてあったスピーカーはClassだったように記憶している。部屋の隅にX1が置かれていた。部屋がこれだけ異なると出てくる音は全く別物で大変伸びやかな音だった。比較すると池袋の音は明らかに濁っていた。壁面からの距離が取れないからだろう。試聴に使用したアンプはX2でトラポはソニーの一体型だった気がする。アキュフェーズのCDも並べてあった記憶があるがそちらは使っていなかっただろう。プリアンプは介さずに自作のアッテネーターボックスみたいなのを使用していた。しばらくしてから今では音信不通の知り合いをつれて再び三芳に出かけた。このとき応対していただいたのは技術の方である。このときは8XをX2で鳴らしDACはタラントだった。プリは記憶が無いのでアッテネーターボックスだったのか。 現在のスタックスは同じ三芳にある。とはいえ、場所は移転し、鶴瀬の駅前から徒歩10分である。住宅地の中にあり、通りの向かいに畑が広がる。近隣のマニアは直接修理を持ち込むことも多いという。簡素なプレハブだが、「築三十年の鉄工所」の頃と比べると清潔感があり好ましい。ここでは触れなかったが練馬に工場があった時代もあるとのことだが行った事も無く、資料も無いので触れることが出来なかった。(2003/12/28) |